中国道に乗って2

鶉野飛行場の周りには、田んぼや畑が広がっているのですが、中にはこんなんも、

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これが何かと云えば、神戸大学の農場に作られた牛舎だそうです。現在、絶賛放送中の朝ドラを彷彿とさせる、長閑な光景です。

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当然牛が飼われているのですが、神戸大学農場の牛、と云うわけで、ここで飼われているのは、全て神戸牛!やと思われます。が、その前にはこのやうな光景が、

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防空壕の跡地です。ここは地下指揮所として使われていたそうで、入り口にはこのやうな看板が、

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狭い防空壕ですので、2班に分かれて入ってみると、

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指揮所らしく、結構頑丈に作られているようです。

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壁には、指揮所の由来が書かれています。天井には、こんなんも、

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紫電改のしょぼい模型がありましたが、せめてプロペラは、4枚にしてくれないと(^_^*)

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その後、何ヶ所か防空壕跡地を見学したのですが、これは、その中でも最大の防空壕の入り口です。立派な階段が作られています。

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中に入ると、結構な高さです。弾薬や、食料品が仕舞われていたのでしょう。そのあと、最後に訪れたのは、銃座の跡地です。

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小高い丘の上に作られていたようです。

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当時、ここには高射砲が置かれていて、B29を迎え撃つ準備が行われていたようですが、幸か不幸か、爆撃に会うこともなく、こうやって75年後、戦争遺産として残されています。世界中の軍事施設全てが、廃墟になる日が一日も早く訪れて欲しい、と心から願います。