中国道に乗って

昨日、真夏を思わせる猛暑の中、新名神中国道と乗り継いで、某所へ行って来ました。と云っても自分の車では無く、某サヨク系団体の日帰りバスツアーに混ぜてもらってです。

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高槻市役所の前を8時に出て、2時間ほどで到着したのはここ、

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兵庫県加西市の、鶉野飛行場跡です。

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太平洋戦争末期、海軍の航空隊が、新兵の訓練場として、突貫工事で作った飛行場の跡地です。

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全長1200メートルの滑走路が残されていて、遠くには格納庫が見えています。

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と云うわけで、最初にここに向かいます。

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格納庫の反対側が駐車場になっていて、ここでバスから降りて、正面に向かうと、このやうな光景が、

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このツァーの目玉、旧海軍航空隊の戦闘機、紫電改です。残念ながら実物では無く、つい最近作られたレプリカです。今年の6月から公開が始まったばかりの、ピカピカの新品です(^O^)  この日は室内での展示でしたが、

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第1、第3の日曜日には、屋外での展示が行われていて、ようさんの人が訪れるとのことでした。私もできれば外で見たかった!

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が、大昔、ちばてつや氏の『紫電改のタカ』を夢中になって読んでいた私にはたまりません。この紫電改、近くの川西航空機(現新明和工業)で作られた後、この鶉野飛行場へ運ばれて、訓練飛行が行われたそうです。知らなかった。と云うわけで、紫電改を堪能した後、他の目的地へ向かいましたが、続きはまた明日。