あれから18年

昨日のAサヒの朝刊にこのやうな記事が、

かつて、尼崎の付近で、100人以上の死者を出した列車事故から18年経ったとの記事です。この記事の見出しには『JR宝塚線・・・』と書かれています。他紙やTVのほとんどは『福知山線』と報道していたにも関わらずです。確かにこの路線は、福知山から篠山を下り、宝塚、尼崎を経由して大阪まで通っているので、福知山線には違いはないのですが、地元ではフツー『宝塚線』と呼ばれているようです。

この事故にあった列車を、某乗り換え案内ソフトで見てみると、このやうに『宝塚線』と表示されています。さらにこの列車は『環状線』を経由し、京橋から『学研都市線』に乗って、新田辺に向かっています。なんでこの路線名が気になるのかと云えば、先日読んだ、この作品のせいやと思います。

左の、青崎雄吾氏の短編集です。

この短編集の冒頭に掲載されているのが、この脱線事故をテーマにしたミステリーです。

内容は上記の通りですが、作品の冒頭で青崎氏が『福知山線』と云う呼び名に関して疑問を呈してはったような気が。で、この記事を書いたAサヒの記者も、この短編を読んではったんやないの、と思ったり・・・